1978年の阪急ブレーブスでは、1978年の阪急ブレーブスにおける動向をまとめる。

この年の阪急ブレーブスは、上田利治監督の5年目のシーズンである。

概要

3年連続で日本一を達成した阪急は、この年も好調を維持、前期は4月に9連勝をし、貯金を11作りスタートダッシュに成功、5月・6月・7月も着実に貯金を重ね、他を全く寄せ付けず前期優勝を決めた。後期も途中上田監督が病欠するハプニングがあったものの、7月だけで貯金を10個重ね、好調を維持した。しかし、前期を2位で終わった近鉄も10試合連続完投勝利を挙げた鈴木啓示を中心に快調に勝ち星を重ね、阪急と激しく競り合った。阪急は、近鉄との直接対決で大きく負け越し、近鉄との最後の直接対決(近鉄にとってはシーズン最終戦)で阪急が勝たないと近鉄が後期優勝を決めるという状況まで追い込まれた。この試合では、そこまで17勝挙げていた阪急・山田久志と25勝全部が完投勝利の近鉄・鈴木啓示が投げ合い、マルカーノの2ランホームラン等で4点を挙げた阪急が勝利した。これでマジック1とした阪急は次の試合を勝利し、前期・後期共に優勝する完全優勝を達成した。日本シリーズではリーグ初優勝のヤクルトと対戦、前評判では阪急が圧倒的有利と噂されていたが、第7戦までもつれその第7戦の6回裏、ヤクルト・大杉勝男が放ったレフトポール際の大飛球をホームランと判定され、上田監督が1時間19分の抗議をしたが、判定は覆ず、長時間の抗議により、肩の冷えた先発足立光宏を変えざるを得なかった阪急のその後の投手が打ち込まれ事により万事休す、阪急は4年連続の日本一を逃すこととなった。シーズンオフ、日本一を逃したことと長時間抗議への責任を理由として、上田監督が辞任した。

チーム成績

レギュラーシーズン


*阪急が前後期完全優勝したため、プレーオフは行わずそのまま年間優勝

日本シリーズ

オールスターゲーム1978

  • 太字はファン投票で選ばれた選手。取り消し線は出場辞退、▲は出場辞退に伴う補充。

できごと

  • 7月17日 - 上田利治監督が気管支肺炎で倒れる。この日から7月20日までは中田昌宏ヘッド兼打撃コーチ、オールスター戦を挟んで7月29日から8月24日までは西村正夫二軍監督が代行を務める。またこの間のオールスター戦は、前年優勝のためパ・リーグの監督となるところだが、病気のために南海ホークス(前年2位)の広瀬叔功監督がパ・リーグ監督となった。
  • 8月31日 - 今井雄太郎、ロッテオリオンズ戦で完全試合達成。指名打者制度導入後では初の達成。

選手・スタッフ

表彰選手

ドラフト

出典


プロ野球倶楽部 阪急ブレーブスの館 1982年イヤーブック

1988年 阪急ブレーブス 19 YouTube

1975年 阪急ブレーブス 選手名鑑 YouTube

1980年 阪急ブレーブス「選手名鑑」 YouTube

プロ野球倶楽部 阪急ブレーブスの館 その26