内田 実久(うちだ さねひさ)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将。秋月氏の家臣。高鍋藩家老。

生涯

永禄2年(1559年)、筑前国の秋月種実が大友宗麟に敗れ、毛利氏を頼って周防国へ逃れた際、これを迎えて邸を提供したのが、実久の兄・内田壱岐守であるという。実久は、種実の旧領回復の際に毛利氏からの援軍を指揮して功があり(休松の戦い)、それ以降は秋月氏の宿将の一人となって、筑前左右良岳城(麻底良城)の城主に任じられた。

天正15年(1588年)、豊臣秀吉の九州平定により秋月氏が日向国財部(後に高鍋)へ移封された際には隠居料500石を拝領し、戦乱で壊滅していた新納院高城の復興に尽力した。

元和3年(1617年)に死去した。享年80。家督は長男・彦太郎が天正14年(1587年)の岩屋城の戦いで戦死していたため、次男・四郎右衛門が継いだ。

脚注

参考文献

  • 『高鍋藩史話』 安田尚義著 (鉱脈社) ISBN 4860613325

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