田中 定吉(たなか さだきち、1870年3月26日(明治3年2月25日)- 1929年(昭和4年)1月5日)は、明治から昭和初期の実業家、政治家。衆議院議員、香川県会議長。号・虚堂、俳号・笑蛙。

経歴

讃岐国香川郡高松紺屋町(現香川県高松市紺屋町)で、富豪・田中仁八郎の二男として生まれる。1889年(明治22年)に上京し、1892年(明治25年)専修学校理財科を卒業した。1893年(明治26年)3月、家督相続した。

帰郷して、高松銀行取締役を務めた。その他、高松商業会議所会頭、讃紙取締役、高松煉瓦取締役社長、第百十四銀行監査役、高松土地建物監査役、東京郊外土地監査役などに在任。また、讃岐実業新聞社の2代社長に就任し、讃岐日報社に改称して香川新報との競争を繰り広げた。

政界では高松市会議員に就任。1897年(明治30年)香川県会議員に選出され、1901年(明治34年)11月から1903年(明治36年)3月まで県会議長を務めた。立憲政友会香川県支部幹事として党勢の拡大に尽力した。1903年3月の第8回衆議院議員総選挙で香川県高松市から出馬して初当選。その後、1924年(大正13年)5月の第15回総選挙まで5回再選され、衆議院議員に通算6期在任した。この間、政友会幹事、同協議員などを務めた。

国政選挙歴

  • 第7回衆議院議員総選挙(香川県高松市、1902年8月、立憲政友会)落選
  • 第8回衆議院議員総選挙(香川県高松市、1903年3月、立憲政友会)当選
  • 第9回衆議院議員総選挙(香川県高松市、1904年3月、立憲政友会)当選
  • 第10回衆議院議員総選挙(香川県高松市、1908年5月、立憲政友会)当選
  • 第11回衆議院議員総選挙(香川県高松市、1912年5月、立憲政友会)落選
  • 第12回衆議院議員総選挙(香川県高松市、1915年3月、立憲政友会)当選
  • 第14回衆議院議員総選挙(香川県第1区、1920年5月、立憲政友会公認)当選
  • 第15回衆議院議員総選挙(香川県第1区、1924年5月、立憲政友会公認)当選

親族

  • 妻 田中リツ(川崎舎定馬長女、実業家川崎舎恒三姉)

脚注

注釈

出典

参考文献

  • 成瀬麟、土屋周太郎編『大日本人物誌 : 一名・現代人名辞書』八紘社、1913年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
  • 細井肇『現代日本の政治家』國光社、1916年。
  • 東洋新報社編『大正人名辞典 第3版』東洋新報社、1917年。
  • 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』衆議院事務局、1918年。
  • 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 第14回』衆議院事務局、1924年。
  • 加藤紫泉『新代議士名鑑』国民教育会、1924年。
  • 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 第15回』衆議院事務局、1926年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年。
  • 青野権右衛門編『立憲政友会功労者追遠録』安久社、1933年。
  • 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
  • 『香川県人物・人名事典』四国新聞社、1985年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。



图文:《东京审判》背景资料田中隆吉_手机新浪网

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